2012年7月20日金曜日


幼少期

120
当時2歳

120
幼少期

120
当時5歳

120
小学6年生時

120
中学2年生時
  • 1992年11月21日、大分県大分市で指原家の長女として生まれる。
  • 兄弟には、5歳上の兄がいる。[16]指原は非常にお兄ちゃん子であり、すごく影響を受けて育った。格ゲーが得意なのはそのためで、しいたけとひじきが嫌いなのも、兄が嫌いだったからという理由。[9]ちなみに兄は、指原に北原のサインを頼んでいるらしく、北原里英推しらしい。[17]
  • 幼少期は、骨折や入院はしたことがない健康優良児に育つ。[9]「普通なんですよ。重い病気もしたことないし、出産のエピソードもない。母にも『すんなり生まれて、悪いけどフツー』と言われました」[18]
  • 幼稚園の頃から、一人で本を読んだり、お人形遊びをするなど、インドアな子供だった。[9]「幼稚園の頃はかわいいと言われてたんですよ」[18]
  • ピアノを4歳から15歳まで習っていた。[12]他に習字も習っていた。[14]
  • 小学1年生の時、格好良いと思って、好きな男の子の前では、常につま先立ちをしていた。[19]
  • 小学2年生の時、家にパソコンが来る。学校から帰ると、まずパソコンを立ち上げファンサイトをチェックすることが日課に。ネットを利用にヲタ活動を開始。[18]
  • 小学生時代は勉強はできた方だった。イジメられていた訳ではないが、人気者でもない。その頃から、地味な感じの微妙なポジションだった。[9]また、じょじょにアイドルにハマリはじめ、『LOVEマシーン』をキッカケにハロプロのファンになる。学校ではモーニング娘のトレカの交換などをして過ごすようになる。
  • 8歳の時に目が悪くなり、メガネをかけるようになった。さらにセンター分け、脂性(現在は乾燥肌)な事もあり、12歳までが人生の最悪の時期だった。[12]「」史上最大のブス期」[18]
  • 小学5年生の時に、はじめて後藤真希のコンサートに行く。当時の推しメンは、モーニング娘の亀井絵里、Berryz工房の熊井友理奈、℃-uteの萩原舞。多い理由は、九州はなかなかコンサートを開催してくれないため、1グループ1人は推しがいないとつまらないから。[9]
  • 小学6年生の時にコンタクトに変える。[18]
  • 障害を持った子の世話役を買って出ていた。その子が給食を吐き出すと、いつも掃除してあげていた。修学旅行の班決めで、誰からも誘われない子がいたら仲間に入れてあげた。―すごく優しいよね? 「優しくないです。あれは~、だって…。私はただ側にいるだけ。大したことはしない。出来ることしかしない。障害を治してあげようとか、一生手助けしてあげようとは思わない。いじめられている子がいたら、側にいてあげるけど、そこから救い出そうと戦ったりはしない。だから偽善。私は偽善者なんです。そんな…美談じゃない」[18]
  • 大分市立王子中学校に進学。SKE48矢方美紀がクラスメイトで、[20]小野晴香は先輩(学年が5こ上なので同じ時期に通っていた訳ではいが、指原の兄とは同じクラス)。[21]有名人だとユースケ・サンタマリアが先輩にあたる。[22]
  • 登校初日からスカートを短くして行ったら、怖い先輩たちに因縁を付けられる羽目に。ただその後は、ただの地味な子だと分かったようで、何事もなかった。[9]
  • 中学でも勉強はできた方で、200人中50~60番目くらい。ただし、英語は得意で偏差値は64だったが、数学は38と、とてつもなく低かった。[23]
  • 部活は吹奏楽部に所属し、バストロンボーンを担当。大分県でも強い学校であり、経験者も多かったため、頑張って部活動に励んでいた。1年の時には九州大会にも出場した。[9]
  • 中学生になると本格的なアイドルオタクへと変貌。しかくクラスのみんなにはバレないようにしていた。本人曰く「パッとしない暗い存在」だった。[2]
  • 当時、アイドルオタクとしての活動を自身のブログで書いていた。自分で言うのもなんだが、結構おもしろかったらしい。[9]その時のブログが、現在も閲覧可能な状態で残っているという噂もあるが、詳細はノートを参照。
  • 同級生との対談。誰と誰が付き合っているという話。指「あの二人まだ続いてたんだ」。R「こっちは遠恋中」。指「すごい。みんなすごいなぁ…」。「さっしーはAKBだからね」。指「でも問題ない。結婚はしたいけど、恋愛にはまるで関心がない」。「モテてたのにね。中学時代」。指「ウソ!?モテてないよ!」。「変な人にばっかり(笑)」。指「あぁネタに近い感じで、個性的な一部の男子には好かれた記憶がある」。「一度告白されたよね」。指「懐かしい~。そう、メールもらってビックリした」[18]
  • 中学2年生の時、体育会系の女子グループからいじめを受ける。「初めのうちは、廊下ですれ違うと爆笑されたり、陰でぐちぐち悪口を言われたり。悩んだり悲しいとは思わなかった。部活は楽しかったし…。ただただ面倒くさいと思った。なんでこんなことするんだろう。私の何が気に入らないんだろうって…」[18]
  • 学校では目立たなかったが、ハロヲタ時代は、九州では有名な女ヲタだったという。「ハロプロ界隈では女ヲタとして本当に有名でした。“大分の指原”、“鹿児島の柏木”と言われるぐらい二大人気女ヲタでした。当時は、みんなに混ざって積極的にヲタ芸なんかをやっていた指原の方が、周りのヲタから可愛がられてましたけど」。ちなみに、柏木と指原はその頃からの知り合いだという。[24]
  • 当時から自分が可愛いと思っていた訳ではないが、『うたばん』でモーニング娘がイジられているのを見て、「アイドルはキャラも大事なんだ」と思うようになり、いつしかアイドルオタクからアイドルへなりたいと思うようになる。しかし住んでいた大分県は田舎で、とても「芸能界に入りたい」と言えるような環境でもなかった。しかしどうしてもアイドルになりたかった指原は、友達や親にも内緒でモーニング娘。のオーディションに応募。第1次審査には合格した。「それまで“私は選ばれし存在”って調子に乗ってたんですけど、合格メールがきた事でいきなり“現実”になって、めっちゃ焦りましたね」。[2]

2007年

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